映画『トゥルーマン・ショー』感想
タイトル 『トゥルーマン・ショー』
点数 4.0/5.0
・最初からネタバレ
・「トゥルーマン・ショー」の視聴者と私
・映画を見ている自分を思い出した
映画『トゥルーマン・ショー』を見た。
有名な映画と言うこともあって、なんとなく内容は知っていた。
そのため、もしかしたら楽しめないかもしれないと思いながら見始めた。
見始めると、いきなりネタバレから始まって驚いた。
これは「トゥルーマン・ショー」という番組なんだと最初から説明が入る。
もちろん、何も知らない人が見ればすぐには明確な確信は持てないかもしれないが、それでもなんとなくわかるようになっていて、重要な部分が隠されてはいない。
この作品の面白さの根幹にある設定をさっさと紹介して、それでも面白い作品をつくれるのかと私の期待はあっという間に高まっていった。
私が見ていて面白いなと思ったところは視聴者たちの存在。
劇中で主人公トゥルーマンの行動は、すべて劇中の「トゥルーマン・ショー」という番組として放送されている。
その番組をバーや自宅、職場で見ている視聴者の姿がたびたび映される。(なぜか日本人が家族で見ているシーンもある。)
トゥルーマンの姿を見ている間は、私も彼ら視聴者と同じところに視点があり、つい先ほど「トゥルーマン・ショー」を見始めた新参の視聴者なのだ。
だが、視聴者の姿が映し出されると、ハッと我に返り、さらにその外側にいる自分の存在を思い出させられる。
「トゥルーマン・ショー」とその視聴者、そしてそれをさらに外から眺める私。
こんな私自身の視点を感じさせられる作品は初めてで、なんとも不思議な感じだった。
あともう1つ面白かったシーンがある。
途中で番組の生みの親であるクリストフと、昔トゥルーマンに本当のことを言おうとした女性シルヴィアが電話で言い合うシーン。
トゥルーマンを開放すべきと主張するシルヴィアとそんなことにはまったく賛成する気のないクリストフ。
彼らの言い合いの間も、もちろん「トゥルーマン・ショー」は続いていて、のんきに食事をするトゥルーマンの姿が右上のワイプに映し出されている。
この画面の手前の2人と、右上のトゥルーマンの差に、迫真のシーンであるのに笑ってしまった。
そして最後に、トゥルーマンはこの番組の世界の外へと出ていく。
それを拍手喝采で見送る視聴者たち。
けれども、この映画はここでは終わらない。
つい先ほどまで拍手を送っていた視聴者が、あっという間に興味をなくしてしまって次の番組を探し始めるところで終わる。
この最後にはガツンと来た。
少し前の映画だから、ここで揶揄しているのはテレビの視聴者なのだろう。
ところが私はこの作品をNetflixで見ていた。
ネットではテレビよりもさらに自由に、好きな作品を好きな時に見ることができる。
この『トゥルーマン・ショー』を見たのも、ちょっとした娯楽としてなのだ。
この作品を見た後には、また次の作品をさっさと見るだろう。
視聴者たちよりももっと自由で貪欲な存在。
そんな自分を指摘されているみたいでなんだか恥ずかしくなった。
この記事を書いてこの作品を見たことの価値を高めることが、せめてもの罪滅ぼしだ。